代表 菅原

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『 苦労は報われる VOL94 』 二月のコラム上へ

 平櫛田中 ( ひらくしでんちゅう )( 1872 ~ 1979 年 ) 彫刻家 岡山県生まれ 本名倬太郎  1897 年上京し高村光雲に木彫を学ぶ。 1908 年岡倉天心に師事。 1962 年 90 歳で文化勲章受賞。代表作のひとつに「鏡獅子」がある。モデルは 6 代目尾上菊五郎で完成まで 20 年かかったといわれる。完成は平櫛が 80 歳の時で菊五郎はその完成を目にすることはできなかった。

 「実践、実践、また、実践。挑戦、挑戦、また、挑戦。修練、修練、また、修練。やってやれないことはない。やらずにできるわけがない。今やらずしていつできる。わしがやらねば誰がやる。やってやってやり通せ」「 60 、 70 は洟垂れ小僧。男盛りは百から、百から。急くな、急ぐな、来世もあるぞ」という言葉を口にしながら制作に熱中したという。

 「老年は人生を翻弄する欲を取り去ってくれる。これこそが老境の素晴しい賜物である」とはキケロのことば。老年になると若い頃に自分を悩ませていたさまざまな欲から解放される。人はその時初めて、自分が本当に願う生き方を実現できる。自分を縛っていた欲やしがらみから解放される老境になって、ようやく真の自由が得られる。自分の思い通りに行かないのは、自分の欲を優先しているから。歳をとり自分の欲を二番、三番におくようになると人との摩擦も少なくなってくる。そうすると人が集まり、敬われるようになる。若い頃とは違う自分を再発見できるのが老境というものかもしれない。

 とかく人生は苦労がつきまとう。苦労の連続といってもいいかもしれない。ことばを変えて修行という言い方もできる。それが歳をとることにより縛られていく。母が子を思うように、次第に自分のことを後回しにするときの素晴らしさを認識していく。人生の苦労とは、老いの日を心から楽しみ、幸せに生きるために与えられたものといっていいだろう。 

 次から次に新たな事象が出てきて戦々恐々として全県で苦労している福島県。この苦労は必ず報われる。これから 20 年~ 30 年後にあの時の福島の苦労が実ったという時代がくる筈だ。それには平櫛田中の気概を持ち、目の前の今出来ることを一生懸命やることだ。 107 歳で天寿を全うした平櫛の生き方に学ぶべきことは多い。

『 不安定な中に幸福がある VOL93 』 一月のコラム 上へ

 お正月を祝う気が薄れる2012年の幕開けである。問題山積のまま越年した今年。特にこの福島県はどの方向に向かっていくか揺れ続けている。いつの世も先は読めないのが常だが、今年はどうなることやら。もっとも先が読めたからといっても、その通りにならないのも世の常でもあるのだが、、、

 よくよく考えるに、人間というのは常に「心身の安定」を求め続ける生き物だ。「心身の安定」を求めるということは、「心身が不安定」だから。つまり人間は一生不安定な平均台の上で生きていて、地面に降りたい、降りて安定できたらどんなに楽なことことだろうと願い続ける生き物。この場合の地面とはもちろん「あの世」のこと。そこでこの「不安定」の中に、幸福感や生きがいを見つけることで、人は人としての人生をつくるのである。同じ環境の中でも考え方で場面がガラリと変わる。人はひとりでは生きられないのだから、幸福感や生きがいは自分以外の人やものから与えてもらうことになる。

 うどんが入っている大きな鍋がある。周りには幾人もの空腹の人間が自分の背丈ほどの箸を持っている。相手を押しのけてやっと鍋にたどり着き、我先にうどんを食べようとするが、箸が長すぎてうどんがすべってうまく口に運べない。「長い箸が悪い、なぜすべりやすいうどんにしたのか」などと皆イラつき罵声を浴びせて、小競り合いや喧嘩が始まる。これが地獄。鍋の周りに整列し、順番を待って、自分の番が来たら、長い箸でうどんを掬って対面の相手の口に持っていき、相手に食べてもらい、相手から同じように食べさせていただく、皆ニコニコと相手に感謝をして、満腹にならないうちに次の人に席を譲る。これが天国。全く同じシュチュエーションで対極の世界が現れる。

 人間の一生は不安定なのだから、この福島の現状もその一コマに過ぎない。区切りの年頭。人間界の思惑とは関係なく、天界や自然界は人間には見えない大きな力により運行している。何があるか分からないこの現世を「地獄」にするも「天国」にするも自分自身。人生は修行と捉え、不安定でもドーンと構えて動じないよう心掛けたい。

今年もよろしくお願いします。



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